2015/09/30

le cuiller


 以前に比べるとずいぶん変わったなと思う。フランス人のお箸の使い方は目を見張るほど上手くなっている。昔はラーメンだって、お茶碗のごはんだって、ナイフとフォークで食べていた。
そもそも、日本人ですら箸の使い方がうまくない人が多いのに、毎日ナイフとフォークで食べていたフランス人が箸って。。でも最近では、白米を食べるときは箸を使う人が増えていて、キッチンの引き出しにはものすごい量の箸が入っている。友達は日本に来たときに安くてかわいかったから、と言って菜箸を束で買って来て使っていたし、他の友達は中華スーパーで買ってきたツルツル滑る箸を使っていたり。。そんな箸だったら私たち日本人でもたぶん上手く使いこなせない。もしや、そんな箸を使っているからだろうか。それが訓練になっていて、普通の箸は私よりも上手なんじゃない? ってくらい上手く使いこなせている。

 そう考えると ”la cuiller”(キュイエ)『スプーン』の出番が少ない。小さめスプーンはヨーグルトとかを食べるときに使うけれど、大きいスプーンは? スープを飲むときぐらいにしか登場しない。そういえば、フランス人はおみそ汁を飲むときはお椀から啜るのは難しいようでやっぱりスプーンで飲む。我が家でも大きめのスプーンは使うことが滅多にない。。

 

2015/09/29

国境


 ほんとに羨ましい限りだ。ヨーロッパにはいろんな国があり、国境近くの町であれば隣の国へあっという間に行くことができる。車で行き来もできるし、電車も繋がっていていつでも好きな時に行くことができる。
しかも今ならば、EU間は同じ通貨だから両替とか面倒なこともなく、言葉も同じだったりする国もあるから、国外に出たって感じがしない。簡単に国境を超えてしまえるから、安いものを求めて日常の買い物を隣の国で済ませる、なんて使い分けもしてしまうらしい。
 だから例えば、週末にイギリスへ行ったり、ベルギーへ行ったりが簡単にできてしまうのだ。それも飛行機に乗らなくても行けてしまう。そして、チケットも安いから行きやすい。探せば、さらに安いプランも見つけられて国内で動くよりもお手頃だったりするのだ。

 そしてやっぱりいいなと思うのは、言葉に困らない国もあるってことだ。ベルギーやスイスはフランス語を使う地域があり、多少の違いはあるものの、全然困らない。
 日本も言葉にも通貨にも困らない、隣り合った国があると楽しいのにな、ほんとに。

2015/09/28

眠い


 フランスの田舎に行くと、やっぱりフランスっていいなぁとしみじみする。パリはもちろん好きだけど、地方へ行くことがフランスの楽しみになっている。田舎へ行くとなーんにもしないことが普通の日常で、そんなことに慣れてしまうとパリで過ごす日々までもがのんびりとしてしまって、ついつい飲み過ぎたり、友達と遅くまで話し込んでしまったり、朝遅くまで寝てしまったり。。でもそれが楽しくて。。でもずいぶん友達や友達家族にわがまましてたんだなぁ、と反省することも多い。

 言い訳がましいけれど。。フランスって眠くなる、と思う。昼間っから飲んでるから? それだけではない気がしなくはない。
 パリに暮らしている頃、もともと夜型だったうえにそんな生活スタイルになってしまって、朝早く起きられない習慣がついていた。その頃、パリに暮らす日本人の友人に聞いてもみんな口を揃えて「毎日、眠い」と言っていた。「たぶん、フランスと日本では緯度とか湿度とか、気候の違いかなんかで眠くなるんじゃない?」と世界の七不思議みたいな、都市伝説みたいな、そんな会話をよくしていた。事実はわからないけれど、たぶん不規則な生活をしていただけ? なんだと思う。
 

2015/09/27

家造り


 フランス人はDIYが好きだ。部屋の壁のペンキ塗りはお手のものだし、BHVに行ってドアノブやフック買って来ては、あっという間にちょいちょいと替えてしまう。フランス人にとってこんなことは朝飯前なのだ。

 それだけではない。長い間、誰も暮らしていなかった、家の外壁しか残っていない家。そんなところを一から造っていく、そんなフランス人も多い。EricとSophieの郊外の一軒家もそうだったから、行くたびにいろいろ変わっていて、それが楽しみだったりした。
 ノルマンディーのAlainの家もそうだった。広い野原にポツンと建っている古い一軒家。その頃、遊びに行くと家の中はまだ出来上がっておらず、まだ小さかったEveたちは自分の部屋が出来上がるのを楽しみにしていた。
 Ericたちは大がかりな工事は業者に頼んだりしていたけれど、Alainはほとんどを自分で仕上げたらしい。壁を壊して、また壁を造り、床を張り直し、キッチンを入れ替え、そこで生活しながら家を造っていった。時にはパワーショベルを借りてきて庭も作り、しばらくしてから訪れるとだいぶ出来上がっていて、本職ではないのに家って自分で造れちゃうんだなと感動した。みんながみんなではないけれど、意外とフランス人は器用なんだと思う。

2015/09/26

使わない言葉


 最近、息子がフランス語の勉強を始めた。小さい頃から聞いているからか、発音はかなりいい。語彙もゼロではないし、若いから吸収するのも早いし、どんどん上達している。覚えている単語の本はその昔、私が使っていたもの。ちょっとページをめくってみる。うんっ、こんなものまで載ってるの? カテゴリー別に分けられているのだけれど、例えば『教室にあるもの』の中にチョークなんてのもあり、その当時は覚えていたんだろうけど、すっかり記憶の彼方に行っちゃってた。使わない単語はどんどん忘れていってしまう。

 息子が小さい頃、フランス人の友達との会話はやっぱり子どものことが多く、それまで使っていない言葉が多かった。保育園は“la crèche”(ラ クレッシュ)、おむつは”la couche”(ラ クッシュ)、哺乳瓶は“le biberon”(ル ビブロン)。哺乳瓶はフランス語が浮かぶまでにちょっと時間がかかった。あんなに使っていたのになぁ。。使っていないと、ほんとに忘れてしまう。息子に負けないように頭をフル回転しなきゃな。。

 

2015/09/25

ベビーカー


 フランスでは子どもひとりで通りを歩かせることはない。12歳までは親の同伴なしで外出もできないし、学校への送り迎えも義務づけられている。だから常に子どもの横には誰か大人が寄り添っている。年齢で言うとまだまだ12歳は幼いけれど、もうけっこう身長も大きく、お母さんの身長を超えてることも少なくない。

 そういえば、よくこんなことを聞かれる。フランスの子どもたちは何歳までベビーカーに乗るの? って。。確かに大きなしっかりとした子どもがベビーカーに乗っているのをよく見かける。でも実は大きいけれど年はまだいっていない、そんな子どもだったりする。要するにまだ赤ちゃんなのに身体が大きいせいで、ベビーカーが似つかわしくないのだ。これはフランスだけに限らず、どこの国でも日本でも見かける光景だ。言われるほうはいい迷惑だな、といつも思う。
 ベビーカーに乗ってる期間なんて短くてあっという間だから、乗れるうちはどんなだってかわいくっていいんだけどね。

2015/09/24

ムッシュー


 昨日はフランスのおばあちゃんについて書いた。ではおじいちゃんは? そういえば、マダムパワーに押されてひっそりとしている感じがするけれど、ムッシューパワーもけっこうすごい。

 ムッシューたちはCaféでたむろっていて早い時間ならエスプレッソ、そして午後からはビールやワインをカウンターで飲む。あくまでもカウンター。Caféの店員ともおしゃべりできるし、テーブル席よりも安いし、慣れたムッシューは絶対、カウンター。

 パリに暮らしている頃、近所に行きつけのCaféがあった。友達のElianeが来ると、必ずそこへ行っていた。ウチの近所には雑誌に出るようなおしゃれなCaféや老舗で内装がきらびやかなCaféもあったけれど、どちらにも行かず、お客さんもあまりいなくて、そこそこ美味しいコーヒーが飲めて、値段もまぁまぁ安いってとこに行っていた。それはいいんだけど、そういうとこにはそういうのが好きそうなムッシューたちがたむろっていて、その何でもない光景が案外すきだった。あっ、あとペタンクやってるヒマそうな、でも楽しげなおじいちゃん軍団も好き。

2015/09/23

フランスのおばあちゃん


 フランスのおばあちゃんはかわいくって、かっこいい。朝市にでかけるときもスーパーに行くときもおしゃれして出かける。時には一張羅のコートを着て、時には大きなストールを大袈裟に巻いて颯爽と歩いている。そして、サングラス。そう、フランスのおばあちゃんはかっこいい。

 フランスでも高齢化が進んでいて、ひとり暮らしのお年寄りも多く、のんびりと歩くおばあちゃんにも出会う。パリにはエレベーターのないアパートも多く、上階に暮らすお年寄りもけっこういて、それはそれは大変そうで疲れてしまうのだろう。自分の部屋に戻るだけでも大変なのに、買い物のカートを持って階段を上るなんて。。でも、それでもおしゃれして出かけていく。

 とにかく、いいものを身につけているマダムもかっこいいし、古着っぽい格好のおばあちゃんもかわいいし、フランスで出会うおばあちゃんについ目が行ってしまう。

2015/09/22

近道


 いつも使い慣れた駅なのに工事中で迂回する道順が変わってしまって、いつも以上に時間がかかって困ったりする。渋谷駅が今、まさしくそうだ。大幅な建築工事をしているから行きたい路線にもよるけれど、近道がなかなかうまく把握できない。

 パリに暮らしている頃、大々的に地下鉄の工事をしていて、降り立ちたい駅なのに素通りしてしまうことがよくあった。日本のような丁寧なアナウンスじゃないから聞き逃してしまうことも多く、あれ〜、何で通り過ぎちゃうの〜ってこともあった。こんなとき、ほんとに親切でないフランス人にげんなりしてしまう。

 主要な駅は日本と同じくかなり広い。歩く歩道みたいなのにいくつも乗り、電車を乗り継ぐことも。。そこでなければいけないこともあるけど、そうでなければもっと先まで行って乗り換えたりした方がいい場合も。そこでしか乗り換えができないときは、多くの人が近道を行く。来る人、往く人がぶつかったり、混雑しないように通路内の案内の表示が出ていて、ここは一方通行です、のマークがあるところは侵入禁止。でも、案内通りに進むとすごい遠回りだけど、侵入禁止の通路を行くとすぐそこはホーム、なんてこともしょっちゅう。だから、暮らしている頃はそれを覚えて、近道ばっかりしていた。あ〜、でも、もうすっかり忘れちゃったなぁ。

2015/09/21

Place de la Nation


 暮らしている人たちは当たり前に知っている場所でも、ガイドブックにはまったく載らないところもある。そういったところにはもちろん降り立たないし、存在すら知らないままのこともある。フランス人ですら、もちろん馴染みのない駅や場所もあって、パリを一緒に巡ると喜んでくれることも多い。

 私が初めて暮らしたところは、Basteille(バスティーユ)からふたつ駅が離れたところにある”Faidherbe-Chaligny”(フェデルブ シャリニー)。その頃はバスティーユの賑やかさとはうって変わって下町っぽさの残る地味な界隈だった。唯一、一番通った”Marché d'Aligre”(マルシェ ダリーグル)からもほど近いのは便利だったけれど、これと言って何もないところだった。でも、ここ最近はおしゃれなビストロやCaféができて、ちょっと活気づいている雰囲気だ。
 もっと先、バスティーユ広場からフェデルブ シャリニー駅を結んだ延長線上に”Place de la Nation”(プラス ドゥ ラ ナシオン)がある。バスティーユ広場のような塔が二本も建ち、もっと有名になってもいいとは思うけれど、わざわざ観光に訪れたりしないところ。そういえば、私も暮らしていた頃以来、行ってないかも。。というわけで、ふと思い出したので次回パリを訪れた際は行ってみようと思っている。

2015/09/20

日本人の友人


 パリは広くない。パリは狭いのだ。パリの町の話でもあるけれど、パリの日本人の社会もだ。友達の友達が知り合いだったり、お呼ばれした ”Fête”(フェット)『パーティー』に行ったら偶然、他の友人が来ていたりとか。そんな偶然も一度や二度ではないし、そう行った場で知り合って仲良くなることも多く、まさしく『友達の友達はみな、友達』の世界なのだ。そうやって仲良くなった友達の中には今でも続いている人もいるけれど、連絡の取れない人もたくさんいる。そう、あの頃はパソコンも携帯電話も普及していなくて、メールアドレスを交換することもなかった。連絡の手段は家電話か手紙。日本に帰国した者同士だったら電話は容易だけれど、フランスと日本では電話料金がかさむから、お金のかからない手紙で連絡を取り合っていた。帰国した後の住所が定まらない友人とは実家の住所と電話番号を交換した。

 そのアドレス帳は奥のほうにしまってあるのだけど、時々見ては懐かしんでいる。それを見て、すっかり忘れていたのにふと思い出した人もいる。あ〜、そんな人もいたなぁ、と。。ちょっと失礼だけど、でもかなり時間が経っているからそこは大目にみてもらおうっと。そんな中、誰もが知る有名人になっちゃった人もいて、それはそれで不思議な感じもする。
 ずっと会えてなくて、会いたい人もたくさんいる。連絡を無理に取らなくても会いたい人には、パリで知り合ったのだからパリを訪れたら何か会えそうな、そんな気がしている。

2015/09/19

墓参り


 日本ではお墓ってこわいイメージを持っている人が多い。夜にひとりで墓地を歩いている姿を想像すると。。やっぱり怖い。ひとりでも誰か一緒でも歩きたくはない。墓地近くの物件は価格も下がり、それでも人気がないらしい。
フランスではそんなイメージはなく、夜に近くを通ってもあんまり怖さを感じない。日本では著名人のお墓参りをすることはまれだけど、フランスでは真剣な想いで墓地を訪れるファンも多い。それぐらいしか接点がなく、だから墓地を訪れて祈ったり、悲しんだり想いを伝えたりするのだろう。

 私にはどうしても訪れたい墓地がある。友人Patrickの眠っているところだ。亡くなった次の年に訪れて以来、なかなか行くことができず、最後にパリを訪れたとき、Marieはフランスではないところに暮らしていたから一緒に行くことができなかった。

 フランスにもお盆のようなお墓参りのような日がある。11月1日の”Toussaint”(トゥーサン)と呼ばれているその日。フランスと日本のお墓参りのルールは少し違っている。お酒を置いたりしないし、線香もないのだ。お供えの花は菊の花だけれど、鉢植えが多い。手を合わせて祈ったりもしないけれど、それぞれがそれぞれの想いでその場に佇む。方法は違ってもきっと想いは同じ。次は必ず、Patrickに会いに行こう。

2015/09/18

Tu as de la chance!


 フランス人は ”Tu as de la chance!”(トュ ア ドゥ ラ シャンス)をよく口にする。『運がいいね!』『うらやましい〜!』という意味なのだけど、どんな状況にも使えて便利なのだ。例えば、お金を拾ったときでも雨が急に止んだときも、テストでいい点を取ったときも、いろんなシチュエーションで使える。状況によってはちょっとからかっている風に取られることもあるけれど、どちらかといえば褒め言葉のことが多い。

 小さい頃、どちらかといえばおとなしく、あまり泣くことも暴れることもなかった息子。保育園で泣いてわめくお友達を見ると、いつもMarieが “Tu as de la chance!”と私に言っていた。この場合、羨ましいっていうより、運がいいっていう意味だ。運がいいって。。と思ってたけれど、確かに運みたいなところはあるのかも。

 さて、今日うれしいことがあった。うれしいことがあるとやっぱりこれを思い出す。フランス人の友達に言われた〜い。”Tu as de la chance!” ”Ouuuuui, j'ai de la chance!!!!”

2015/09/17

555回


 さて、このブログを書き始めて今日で555回目。今回はせっかくなのでゾロ目でお知らせです。あっという間に555回。最近は独り言のように書き綴っておりますが、忘れていたことを思い出したりして、あ〜、なんてことも多い。つながっていなかったことがつながったりして。。もうちょっと早く思い出しておけば、ってこともあったりして。。

 さて、最近しきりに息子がフランス語をしゃべっている。しゃべってるってほどでもないのだけれど、とにかく頭の中にフランス語が浮かんでくるらしい。小さい頃に私が作った息子のためのフランス語手帳数冊も大事に取ってくれていて、時々覗いているらしい。小学生の頃から友達のDanielleに教えてもらったりしていたけれど、フランスに暮らしているわけではなく、日常的に使わないからどんどん忘れていく。小さい頃からその環境があればよいのだけど、こればっかりは仕方がない。しかし、この節目でかなり本気モードだ。

 言語は変わらないもののひとつで共有できるから素晴らしいと思う。だって、これが違っていたら。。大変なことになる。
 私がはじめて覚えた単語本を息子が使おうとしていて、それはそれで感慨深い。しばらくしたら、日常会話をフランス語にしよう、と言われている。おもしろいかも。









2015/09/16

真似っこ


 よく考えてみるとフランスと日本ではいろんなものが違う。例えば、家も玄関の扉もシンクの高さもちょっとずつだけど、どこかが違う。

 そう考えるとなぜ同じじゃないのかが不思議になってくる。よい、と思ったら真似すればいいんだからだんだん似てくるんじゃないのと思うけれど、フランス人はそういう考えがあまりない。ひとりひとりの個性というものが大事だから真似は好きではない。
 でも、何か気になることは聞かずにはいられない。何度も書いたけれど、パリでは知らない人にもよく声を掛けられる。「そのピアスどこで買ったの?」「その靴、かわいいわね〜」などなど。真似は嫌いだけど、気になることは聞かないと気がすまない性格。だから、誰かに聞いてそれを買っても、それは真似ではなく、自分が気になって購入したってことになるのか。。聞いたことすら覚えていないことが多い。

 今までで一番、声を掛けられたのは髪を三つ編みドレッドにしたときだ。何回かやったことがあるけれど、そのたびに「いいわね〜、誰にしてもらったの?」「似合ってるわよ、やったお店教えて」と、通りを歩いていると何度も何度も聞かれた。とにかく、言わずには聞かずにはいられないフランス人とは変わったことをしていると接点が生まれるかもしれない。

2015/09/15

動物とフランス人


 フランスではネコや犬と生活を供にしている人が多い。そういう私も暮らしている頃は愛猫ポチと一緒に暮らしていた。フランスのアパートでは自由に飼うことができるから、そういう意味では日本より飼いやすい環境だ。

 友人のEricとSophieの家にはどこからともなくネコが集まってくる。飼っているネコたちは自由に外と家とを行き来している。そのネコたちと、どこからともなくやって来たネコたちが複数いて、どこまでが自分ちのネコなのかわからなくなっていた。みんな仲がよく、申し合わせたように集まってきたり、喧嘩することなくごはんを分け合ったりしていた。
 その頃、野良猫たちから広がったエイズがちまたで蔓延して、Sophieたちのネコの一匹がエイズになってしまった。その子は元々飼っていたネコではなかったけれど、病院に連れて行き面倒をずっと見ていた。その後のことは聞けていないけれど。。

 ボルドーに暮らす、友人のMichèleは大の動物好き。一軒家に住む妹の家で飼っている犬3匹の面倒を見つつ、昨年訪れたインド洋に浮かぶ島”Réunion”(レユニオン)を訪れた際に保護施設にいた犬を連れて帰ってきて、一緒に暮らしているらしい。
 前にも書いたヴァカンス前にペットを捨てる人もいるらしいけど、そんな人は特別だと思いたい。。とにかく、こうと思えば突き進むフランス人。愛情の深さも感じるなぁ。 

2015/09/14

Au Petit Bonheur la Chance


 店内、所狭しと並ぶカフェオレボウルや文具の数々。パリへ行くと必ず立ち寄るBrocante(ブロカント)。雑誌のパリ特集に必ずといっていいほど載っているここはさすがの品揃えで、だからいつ行っても日本人がいる。それは何度も言うように仕方のないことだ。よい物が売られているところには必ず日本人が集まってくる。

 乱雑に置かれている物の値段もまちまちだ。ノート類や鉛筆 1本だったら数百円なのにカフェオレボウルやオブジェになると何千円もする。でもやっぱり、それでも日本で売られている金額より全然安いのだ。一時期、そこで買い付ける日本人が多く、雑誌のパリ特集には明らかにそこで売られているものが載っていて、あ〜、あれはいくらだったなと思うと日本で買い物ができなくなってしまっていた。海を越えてくるのだから当たり前なのだけれど。。
 さて、そこでいつも気になっているもの。同じ顔したセルロイドの人形。ぬいぐるみや人形には全く興味がないのだけれど、これはずっと気になっている。そういえば一度だけ蚤の市で寝かせると目を閉じるセルロイドの人形を買ったことがある。目が合ってしまったのだ。。あっ、こわい話しちゃった。。もちろん、捨てずに今でも大事に飾ってある。

2015/09/13

住居兼アトリエ


 パリも東京と同じくらい人がたくさん住んでいる。アパートの空きもあまりなく、ここのところ家賃も高くなっているので郊外に移り住んでいる人も多い。意外とパリにも工場跡とか倉庫とかに住んでいる人もいて、それは憧れでもあるけれど、きっとなかなか空きが出ないことと、かなりの広さがあるので家賃もそれなりにするから簡単にはいかない。だから、アーティストの人たちは郊外にある倉庫を改装して住居兼でアトリエにしている人も多い。パリよりも安く、郊外でも駅から歩ける距離にある物件だとかなり人気があるらしい。

 何が羨ましいって、改装もペンキ塗りも何でもできちゃうから、ほんとに自分たちの好きなように暮らせていること。普通のアパートよりも天井も高く、広さもあるから、暮らしながら少しずつ手を加えていくこともできる。知り合いのアーティスト夫婦は部屋の他にアトリエもあるけれど、部屋のあちらこちらにふたりの作品や拾ってきた素材が置かれていて、いつでも作業ができる恵まれた環境にあるから余計に羨ましい。そんないい環境があればいい作品が私でもできそう、なんてね。。

2015/09/12

日本へ留学


 カメラマンのDanielからメールが届いた。娘のLauraがもうすぐ日本にやって来るらしい。佐賀の大学に留学が決まっているというのだ。5年ほど前に家族で日本にやって来て以来。どういう経緯で日本で学ぶことに決めたのかはわからないけれど、とにかくパパであるDanielは来年、日本に来れたらいいなぁ、と心待ちにしている。

 フランス人の友人の子どもが日本にやって来ることも多い。そんなに簡単ではないだろうけれど、がんばり屋さんが多いことにいつも感心する。それに東京でないところで生活するのはきっといい経験になるだろうなぁ。私がパリも好きだけどフランスの田舎がいいと思っているのと同じく、日本の田舎を気に入るフランス人も多い。特に東北や佐賀のある九州をフランス人は気に入るとよく聞く。

 そうなるとおもしろいのが、やっぱり方言を覚えることだ。イントネーションもそこ特有の話し方になるから、初めて覚えるそれはたぶん一生消えない。それはそれで楽しい。お年寄りの家にホームステイするとおばあちゃん言葉になるし、アニメを見て覚えるとそんな言葉になるのは定説だ。というわけで、きっとLauraは次に会う頃には、佐賀訛りの日本語を覚えているんだろうなぁ、楽しみ〜。

2015/09/11

フランスの携帯電話


 日々の暮らしの中でわからないまま使っていたり、何となくで過ごしていることがけっこうあるものだ。その時は理解したつもりでも、すぐ忘れてしまったりとか。。携帯電話もそう。プランとか使い方とか。。難しい。。

 フランスへ行くとプリペイド式の携帯を使う。はじめに携帯は購入しているから、行く度にチャージするだけだ。でも毎回、最初にいくらかかるのか、何分通話代が含まれているのか、とかすっかり忘れてしまい。思いの外、高い料金に戸惑い、お店によってはもっと安いんじゃないの? なんて頭によぎってしまう。結局はそんなものなのだけれど、そう言いながらもやっぱりいくらぐらいだったか忘れてしまっている。。
 
 さてフランス滞在中、もちろん掛かってくる電話に出るのは簡単なんだけど、登録してある番号に掛けたりするのに戸惑ったりする。何か複雑なのだ。表示を見て、その通りにやってみるけれど行き着かない。それにメールも思うようにいかない。頭文字を打つと予測して複数の単語が出てくるはずだけど見当外れな単語だったり、うまく打てない。ものの10秒で打てるものが時間が掛かってしまう。設定が違うのか、使い方を間違っているのかそれはわからないけれど、とにかく使いこなせない。
 そうして帰る頃にストレスなく使えるようになり、次のために覚えておこうと心に誓うのだけれど、1年後にはすっかり忘れてしまう有り様だ。次に行く時は携帯を替えたほうがいいと思う今日この頃。きっと今どき、もっといいプリペイド式携帯やそんなことよりもっといい方法があるんじゃない? たぶん。。

2015/09/10

フランスの学生


 フランス人学生はお金がない。服はすり切れるほど着込んでいるし、靴は破れていたりしてボロボロだ。バッグだっていつも同じリュック、しかもこれも破れてる。でもこれってけっこう普通のことで、この姿を見てから日本の若者の姿を見るとやっぱりおしゃれさんだなと思ってしまう。

 これってやはり価値観の違いなのだと思う。中高生はもちろん、大学生ですらこうなのだ。自分で稼ぐようになるまでは無駄遣いはしない。古着屋や手頃な値段の店でおしゃれを楽しむのだ。最近では日本でもこんな店が増えてきて、安くておしゃれな服を探せるようになってきたから、あまり大差がなくなってきているかもしれない。でもやっぱり、バッグやアクセサリーを見るとお金の使い方がわかる。
 
 フランス人の子どもたちもちょっとした手伝いやバイトをして欲しいもののためにお金を貯めている。そこはどの国でも同じなのだ。でもたぶん、フランスでは大学生くらいになると生活費やヴァカンス時期の旅行代のためにバイトするのだ。ただ、フランスは大学を卒業するのがなかなか大変だから、バイトをするヒマもそうそうはないらしい。
 勉強はがんばり、ヴァカンスは思いきり楽しむ。そして、時々バイト。バランスがいいなと思う。

 

2015/09/09

また再度、ほっかむり


 雨が降っている。昨日からとにかく降りまくっている。台風のせいかもしれないけれど、これは降り過ぎなんじゃないの。。

 フランスではこんなに雨が降るのはめずらしい。一日中降るなんて滅多にないことだ。あの頃、よっぽどのことがない限り、雨が降ったら出かけないと決めていた。まぁ、今でもそれに近い感じだけど。。
 パリでは町往く人々はあまり傘を差さず、そうそう、傘を持ってても、だ。要は差すのが面倒だということなんだろうけど、持っていないときはストールやTシャツ、シャツを頭に被る。フランス人はストールの巻き方も上手だけれど、頭に巻くのもほんとに上手い。言うなれば洒落ている、って感じかな。かっこよく、きれいに巻こうとしていないのが逆にいいんじゃないかと思う。とにかく、巻物が上手だ。

 さて先日、撮影の仕事でフランス人のマダムがよく被る、ナイロン素材の三角巾みたいなのをモデルの子に被ってもらい、撮影した。友人がスタイリングしたのだけど、これ、やっぱりいいと再認識。友人は時々被っているらしい。以前にもブログで書いたのだけど、ぜひ流行らせた〜い。ほんと、かわいい。(2015年 1月22日”ほっかむり”もまた読んでみてくださ〜い)

2015/09/08

パリの便座


 パリのトイレ事情は決してよくない、というか最悪だ。何度もトイレ話は書いてきたけれど。。

 そうそう、パリのトイレはちょっと高い位置に付いている。子どもにはちょっと困難な高さだ。しかも、外出先のトイレは便座がないところも多く、実際、フランス人がどんな風に使っているのか謎だ。パリできれいなトイレはほとんどない。だから、トイレに行きたい気持ちも失せる。でも行かなきゃだし、これはいつも憂鬱で繊細な問題だ。

 私は絶対に便座には座らない。そもそも便座がないところにには座りようがないし、パリのトイレは衛生上よろしくない。
 息子とのパリ滞在はそれが一番の悩みの種だった。ほんとに小さな頃には同じ個室に入り、手を貸しながらできたのに、そのうち一緒に入ることもできなくなり、トイレに行く前は必ず「変なところに座らないでよ。汚いから触っちゃダメ」と口を酸っぱくして言っていた。これがけっこうなストレスだ。
 だからなのか、フランス人はほんとにトイレが遠い。一緒に出かけてもほとんどトイレに行かない。家に遊びに来てもトイレを貸してね、なんてほとんど言わない。きっとあのトイレに行くぐらいなら我慢したほうがマシ、って身体が覚えちゃったんだな。

2015/09/07

洗濯のクセ


 最近やたらとフランスの古着屋のことを思い出す。あの頃は古着ばかり着ていたし、古着屋に行くことが蚤の市に行くことと同じくらい好きだった。
 めちゃくちゃ安価の”GUERRISOL”(ゲリソル)はたぶん顔が知られるくらいの常連となっていたし、それと同じくらいの頻度でマレやレアールの古着屋さんにも通っていた。もちろん、ゲリソルよりは高いけれど、それでも状態のいいものがたくさんあってパリっ子にも人気があった。でもだんだんと日本の雑誌に取り上げられて、日本からも訪れる人が増えてずいぶんと値段も上がってしまった。店内には掲載雑誌が飾られて、もしかしたら客は日本人のほうが多いんじゃない? って感じになってしまった。。

 パリはそんなとこだらけだ。一時期はパリ中に日本人が溢れていて、買い物しているのも日本人しかいないんじゃないかと錯覚するほどだった。通貨がユーロに変わってからはもっと拍車がかかり、フランスの古着事情はすっかり変わってしまったなぁ。あの頃、古着の皮のコートやワンピース、ジャージが好きでよく買っていたけれど、一枚何百円の世界だった。そして、安く買ったからというわけではないけれど、洗濯機でガシガシ洗っていた。日本の古着屋と違って商品は匂いや汚れが付いたままのことが多く、一度洗わないと着られないのだ。そんな頃のクセが未だに抜けなくて、皮でもどんな素材のものでも何でも洗濯してしまう。さて、いつか失敗しそうだけど、でもどうやってもこのクセは抜けない。案外、洗えないものはない。

2015/09/06

パリの緑


 この間、葉山の海で見かけた男性。浜辺にバスタオルを敷いて、履いてるんだか履いてないんだかわからないような水着で肌を焼いていた男性。日射しは多少あったけれど、さほど晴れているワケでもないのに。。でもあまりにも慣れた様子でひとり寝転ぶ姿はただ者でない感じ。こんがりきれいに焼けているのを見るとちょっと羨ましいくらいだった。

 パリの公園でもこんな姿をよく見かける。特に多くの女性がビキニ姿で寝転がっていたりする。さながら海のようだ。パリの公園は老若男女、いろんな人の集まりだ。こんな風に焼いている人もいれば、ピクニックをする人たち、読書をしたり、子どもたちが遊んだり、町歩きの休憩場所だったり。だから、公園に集まってくるいろんな人たちを観察するのも楽しい。
 そういえば、パリの公園には常設のベンチ以外にも椅子が置いてあり、けっこうその椅子の取り合いになる。ひとり一脚ならいいけれど、オットマン代わりに足元にも使われるとちょっとムッとしてしまう。。でもこんな風にみんなでくつろげる公園がたくさんあって楽しい。アパートの敷地内や窓辺、お店の軒先にも緑がたくさんあるパリは、町だけど町過ぎず、何だか落ち着く。

2015/09/05

トイレのカーテン


 サンマルタン運河沿いのアパートに暮らしたのは数ヶ月だったけど、けっこう気に入っていた。部屋の壁中に棚が作られていて、荷物のあまりなかった私には不必要だったけれど、ペンキで色を塗り替えたりしてわりとこれがみんなに好評だった。部屋の一角にあったキッチンも狭いけれど使い勝手は悪くなかったし、愛猫ポチも快適そうだった。でも玄関脇にあったトイレには扉がなく、カーテンすらなかった。引っ越してからすぐにやったことは、棚のペンキ塗りと、このトイレのカーテン探し。フランスのアパートの天井は日本よりもかなり高い。屋根裏部屋を除けばだけど。。

 パリのモンマルトルの麓には生地屋さんがたくさんあって、手作りの大好きなパリっ子でいつも賑わっている。種類が豊富だから布選びはちょっと楽しい。中学生の頃に家庭科の授業でスモックやパジャマを作るために布探しをしたことを思い出した。普通の布もあれば、イタリアや近隣の国の布もあり、色も柄もかなり豊富だ。幅広の布もあるし、テーブルクロスになるような布もあったりして生地屋さんに行くことを楽しみにしていた。

 さて、トイレの扉の布は音が漏れづらいようにと厚手のものを買った。結局、布ではなくアンティーク調のカーテンを古着屋で見つけたのだ。そういえば、そんな風なカーテンがよく捨てられていた。フランス人は引っ越しや模様替えの時、大きなカーテンはジャマになって捨てちゃうんだろうな。

2015/09/04

モンパルナスタワー


 パリの中にも知らない場所はたくさんある。行ったことのないところもいっぱいある。知ってはいるけれど興味がなかったり、行く機会がなかったり。。“Catacombes de Paris”『カタコンブ』もそう。知ってはいるけれど、地下にある薄暗い納骨堂に行きたい人なんているのだろうか、ってもちろんいるのよねぇ。不思議だ。。

 凱旋門に上ることやエッフェル塔に上ることにも興味が出ない。高いところがあまり好きではないからかもしれないけれど、上ってまで下を見たくはない。そもそも上ってしまうとそれ自体が見れなくなってしまうから何だかね〜、と思ってしまう。だからエッフェル塔には上りたくない。パリの風景にはエッフェル塔は欠かせないからだ。できた当初、パリの町にはそぐわないと不評だったモンパルナスタワー。そんな時、モンパルナスタワーの上から見る景色がパリで一番きれいだと皮肉った人がいた。それはモンパルナスタワーが見えないから、だ。

 でも”Basilique du Sacré-C ur(サクレクール寺院)から見るパリの町は好きだ。坂の多いモンマルトルの小高い丘に建っているサクレクール寺院。観光客も多くていつもごちゃごちゃしているけれど、何だか落ち着く場所。ここから見えるモンパルナスタワーは悪くない。

2015/09/03

新ピカソ美術館


 パリへ行くと必ず訪れるピカソ美術館。Marais(マレ)という立地のよさもあり、滞在中に何度も訪れる界隈だからつい行ってしまう。こじんまりとした美術館で見て回るのにさほど時間もかからない。そして何より、息子が観てもわかりやすいのだ。

 息子が小学校に上がると、もらって来た教科書にいろんな絵画や作品が載っていて、そんな絵がフランスのどの美術館にも展示されている。ピカソ美術館もそうだ。教科書に載っているピカソの作品がふんだんに飾られているのだ。モナリザを題材にした映画が流行ったときはルーブル美術館に観に行き、小学校の高学年になった頃、オルセー美術館に行って興奮していた。そりゃそうだ、教科書やテレビで見た絵画や作品が目の前にあるのだから。。そうやって目にしたり、関心を持ったものは印象に残るし、きっと忘れない。

 さて、ピカソ美術館は昨年までの何年もの間、改装のために閉鎖していた。まだ新しいピカソ美術館には行けていない。またパリへ行く楽しみが増えた。
 

2015/09/02

タトゥーカバーシール


 最近、タトゥーカバーシールなるものが出てきたらしい。タトゥーカバーシールとはタトゥーを隠すためのもの。最近、外国人のお客さんが増えてきた温泉の苦肉の策らしい。フランス人の友人もそのせいで日本にせっかく来たのに温泉に入れないと嘆いていた。

 フランス人の友人の多くはタトゥーを入れている。大なり小なり人それぞれだけど。。海外で温泉ではタトゥー禁止なんて言ったら、誰も行けなくなってしまう。。小さなものを入れている場合はいいけれど、背中一面とか腕いっぱいに入ってると、カバーシールだらけになって温泉に入った気がしないな、なんて思ったりして。

 パリに暮らしている頃、ピアスの穴を増やそうと訪れたのがタトゥーのお店だった。日本でもピアスをする男子が増えてきたけれど、それ以上にフランスでは当たり前のことになっている。だからなのか男子でも行きやすいタトゥーの店でピアスもあけてもらえるところが多い。というわけで、友人の紹介で訪れた店だったから信頼できたし、ギリギリまでタトゥー入れようかどうしようか悩んで。。結局入れていない。入れたかったような、でもそれだと温泉には入れないしなぁ。

2015/09/01

STAR WARS


 このブログにもよく登場するEricはパリの11区でお店をやっている。よくある普通のおもちゃ屋さんではなく、フィギュアや昔のおもちゃを扱う、マニアが喜ぶようなおもちゃ屋さんだ。全世界のおもちゃ、特に日本の希少なものも多く売られている。かなり広い店内の陳列棚にも壁にもそれらは隙間なく飾られていて、圧巻だ。そんなものに興味のない私でさえ、見入ってしまうほど。マニアックすぎてどうなの?と思ってしまうけれど、コレクターがかなりいてけっこう売れるんだといっていた。ふーん、全然わからない世界だけど。。しかもモノによってはびっくりするような値段が付いていて、それでも何個もまとめて買って行く人がいるらしい。

 パリを訪れるとEricの店にも必ず立ち寄る。するといつもEricが息子に「好きなもの一個選んでいいよ」と言ってくれる。初めてそう言ってもらった息子はまだ3歳。どれを見ても知っているものが見つからない。しかも値段もわからないから、こちらも気を遣う。すると映画は観たことがなかったけれど”STAR WARS”のフィギュアを見つけ、一個手に取った。明らかに主役ではないフィギュアを選んだ息子。何だったかは忘れてしまったけれど、地味な人を選んだような。。
 そして、毎年Ericの店を訪れては”STAR WARS”のフィギュアを増やしていった。だから、”STAR WARS”はフランスの思い出。あっ、息子はパリで”STAR WARS”の展覧会も観に行ったなぁ。